サ キさんのチェンマイ日記

                                        
 
■ 515■ 3月30日 2008

「チェンマイに出没する若者」
 

最近急増したチェンマイ日本人居住者。中高年が主だった年齢層だと思っていたら、先日小型バイクに乗った日本の若者 を見かけました。一見して旅行者ではないことがわかる若者です。最近よく見かけるこの若者たちは別段何をするという目的がなく、チェンマイに住んでいるよ うです。

3ヶ月ごとに日本に帰ったり、近隣諸国に出たりしてビザのエクステンションを繰り返し、生活費は日本に帰っている間にアルバイトやフリーターで仕事をし て、一定のお金が貯まった段階でまたチェンマイに戻って来て生活しているようです。こんな若者が増えています。彼らを称して「棄民」というそうです。日本 を捨てしまった若者は、生活費の関係から日常経費の安いバンコクや、さらにやすいチェンマイなどがターゲットになり増え続けているのが現状です。



定職を持たない若者が近年増え続けているとの報道があったのはつい数年前のことでしたが、今度は日本を捨てしまう若者の出現です。彼らの日常は別段何をす るでもなく、ただ若いタイ人の女性をバイクの後ろに乗せて町中を走り回っているというだけの無為な日常です。別段、有意義に一日を過ごすのが人間生活のす べてではなく、その伝でいえば僕なども週3回ゴルフをして、無為に時間をつぶしているといえます。

別段それほどゴルフが好きだという部類ではなく、向上心を持ってゴルフ道を極めるという大命題がなるわけではなく、何となく習慣のようにゴルフに出かける 僕を見て、家人は呆れています。彼女にいわせればゴルフはやはり欧米のスポーツで、寒すぎる位の湿気のない気候の中で、毛糸のベストを着てラウンドするく らいがちょうどいいので、高温多湿の亜熱帯で、よく飽きずに出かけるものだと感心しています。

老後は二人でできる趣味を見つけようと、ずいぶん前から二人でできることを探した時期がありました。家人は趣味人です。絵を描くことや、陶芸などにこって おり、僕をその範疇に引き込みたかったようですが、あいにくその頃の僕は仕事人間、付き合いゴルフが主な趣味でした。これを趣味という範疇に入れればの話 です。そのほか引退したら小説でも書こうと思っていた位で、別段引退後の生活設計が色濃くあった訳ではありません。家人は盛んに陶芸や、絵を描くことを勧 めてくれ、粘土をこねている手の感触は、女性の柔肌をなぜるか如く、つきたての餅をこねるが如く、えもいわれぬ感触があって、あなたが始めると病みつきに なってしまうと思うのだが、といやに魅惑的はフレーズで僕を誘い込みにかかりますが、そのころ自分は純粋仕事人間を自認しており趣味の世界は引退後の話 と、高を括っていましたが、現実はそれでは遅すぎて、やはり引退後の生活や、日常をどう過ごすかということは、ずいぶん早くから準備をしておかなければな らない問題で、いきなり初めてのめり込む趣味というものはこの世に存在しないことを痛感させられます。

家人は香港時代から陶芸に打ち込んで、結構の数の作品を仕上げて、家中彼女の作品だらけという時期がありましたが、チェンマイに引退、引っ越しの段になっ て、当時香港でお付き合いにあった知り合いが、ちょうど上海に転勤になるので、よい機会だからと彼女の作品のおおかたを引き取ってくれることになりまし た。新生活を手作りの食器で始められると、知人は喜んでいましたが、そのときは引き取り主の知人の心境がもう一歩理解できなかったのですが、後日、僕が仕 事に復帰すべくバンコク生活を始めた折、彼女がお気に入りの作品をいくつか持たせてくれ、単身赴任の独居生活で始めた手作りの料理をしていた際、家人の手 になる食器の良さを発見しました。サービスアパートに用意されている食器はすべて白一色で、味気なく、上出来の手料理を盛ってみてもなんだか味気なく趣が ありません。家人がいっておった「自分で造った料理の一品を、手作りの皿に盛る、これ贅沢の極み」ということが何の抵抗もなく理解できた瞬間ですが(それ までは、結構器用に造ってあるという印象しかありませんでした)これは後の祭りです。あのとき陶芸を始めて、その楽しさがわかっておればチェンマイには 「セラドン焼き」という立派な焼き物があり、窯元も沢山あるので、僕のチェンマイ生活ももっと違ったものになっていただろうに、と、いささか反省をしても それは後の祭りかも知れません。

家人は相変わらず絵を描いています。若い自分芸大を目指したのだが(僕もいっしょ)、ある夏期講座を受けた際、自分より数等表現力の富んだ人が沢山おり、 自分の才能のなさに受験をあきらめたという話を、結婚してかなりたったおりに話してくれました。そのときの思いがあるのでしょう、最近僕が地元のタイ人ご 婦人や、その結婚相手の欧米人のゴルフ仲間ができたのを機会に、付き合ってくれていたゴルフもやめ、絵を描くことに専念しています。チェンマイ一の繁華街 に中にある絵画教室に月〜金通っているのですが、ここはエアコンが効きすぎる位効いているので、年中暑いチェンマイにあっては恰好の避難場所になっている のかも知れません。方や僕は早朝のゴルフといっても、太陽は8時頃には顔をだし(大気汚染でもっと遅い日の出がありますし、最悪は一日中太陽が顔を見せな い日があったりしてこの時期のチェンマイは高温と、スモッグで逃げ出したくなるような天候が続きます)、終了するお昼には強烈な太陽化遠慮なく降り注ぎ、 疲労困憊の極みです。どちらが優雅なチェンマイ生活をエンジョイしているかが疑問になります。

そんな日常を送っている我々夫婦と比較して、冒頭で取り上げた「棄民」といわれる無為な若者とどれほどの差があるかはかなり疑問です。しかし、我々は一応 結婚をし、子供を育て、会社を興し、それを成功させ、後人に託したものとして、一応世間並みの生活をしてきた引退後のチェンマイ生活です。若い時分から定 職を持たぬチェンマイに屯する若者は将来の設計をどう立てているのか、心配になってきます。いや、今の若者は将来の設計などはない、定職に就こうとしても かなり難しく、企業は非定職者ばかりを欲しがっている。格差社会が広がって、富裕層と貧困層に社会が二分化されている、などと、新聞の報道を見るにつけ、 現代の日本をうわべだけを観察した、浅学なマスコミのなせる技と、高を括って見ていましたが、最近チェンマイに出没する若者を眺めていると、事態はかなり 深刻ではないかと、ものも見方が変わってきます。世代が違うと価値観も違ってくるものだと、彼らの心境を探る努力をしてみても、日本を長く離れている僕に は理解のできる範疇を超えてしまった事態で、この現象は理解の及ぶ範疇ではありません。

しかし、日本を遠く離れたチェンマイにあっても、最新の日本の社会現状や、問題点がチェンマイの日常生活の中で少しずつ姿を現すようになり、それは新聞や テレビのニュースの中だけの問題ではないと痛感させられる、そんな日常です。



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