■ 493■ 11月3日 2007
「パイの町にて」
パイの温泉は、山深い里の山裾にへばりつくような感じにあると僕は勝手に想像していました。
だから最後の峠を超えて、下り坂に差し掛かり、目的の地が近づいたと思っていたら、その下り坂がおよそ30分も続き、さらに道路は最近張り替えたと思わ
れる真新しいアスファルトで、それを降り、パイの町へ8キロの位置にあるパイ川にさしかかったとき、周りが急に開け、明るい青空が顔を出したとき、気が抜
けました。
こんなに空が明るく、平坦な土地が広がっているとは想像外でした。パイは小さな盆地の町です。まだしばらくは到着しない、遠方に見えるあの山の麓あたり
が温泉だろうと想像していましたので、急道が突如なだらかになり、メモリアルブリッジ(この辺りは第2次大戦のとき、インパール作戦に侵攻した日本軍が
作った建造物や、遺品を集めて資料館などがたくさんあります。多分、このメモリアルブリッジもそのひとつ)に到着したときは、あんな山坂を超えてはるばる
やってきたのですから、こんなに底抜けに明るい場所に温泉があっては、僕の期待を多いに裏切るとことになります。
予備知識のごとく右折して川沿いに進むと、温泉施設があります。しかし、これは目的地ではありません。目指すはその先、エレファントファームの先の温泉
です。この辺りには温泉施設や、最近できた真新しいスパがたくさんあるようです。

時間は正午、とりあえずチェックインだけすませ、パイの町で昼食をとることにしました。ブリッジまで戻って、そこからさらに
なだらかな道を先に進むこと8キロ、町らしい場所に出てきました。助手席のナビゲーターが左折するとこの町唯一の信号があり、そこを右折すると町の中心地
らしい場所に出るといいます。
右折して100メートルくらい行くと確かに信号はありました。しかし、この場所は右折禁止、しばらく走って、Uターンして、信号を突き切り、次の交差点
を左折しました。直進するとパイ川にかかる橋にでます。橋のたもとにピザ屋がありますが、お客が入っていないので、きっと味が良くないのだろうと、再び橋
を戻ります。
パイ川の岸辺には、最近建てられたとおぼしきスパや、小さな宿泊施設が並んでいます。この川は蛇行しているようで、僕がチェックインした温泉とはかなり
の距離があります。橋を渡って右折するとそんな施設がちらほら、さらに100メートルも進むともう川岸に出てしまいます。そうです。パイの町の中心は
100メートル四方の小さな範囲なのです。別段山の中の温泉地にきて、広大な繁華街を想像はしませんが、これではあまりにも小さすぎて期待が外れてしまい
ます。
一方通行を何回か回って、昼食をとれる場所を探しますが、レストランというほどのものはなく、どこも屋台に毛が生えた小さな店です。しかし、最近欧米人
がたくさん住み着いているだけあって、看板は英語がメイン、タイ語が少し添えてあるというのがちょっと特別の場所にきたという雰囲気を醸し出しています。
その中で欧米人が2グループと、個人客が2人いるレストランを見つけて入りました。ヨーロッパ人が何やら相談しながら食事をしています。彼らの会話は実
に静かです。僕は最近耳が少し遠くなってしまった結果、話し声が大きくなって、よく家人に注意されます。彼らがひそひそと(僕にはそう見えます)話してい
るのを見ていると、あれでよく意思の疎通がはかれるものだと感心してしまいます。
時間はハイヌーン。砂塵がアスファルトの上を滑っていき、強烈な太陽がアスファルトの道路を焼き尽くします。外はいつものタイの昼下がり、かなり暑く、
山深い里で清涼な冷気に包まれるだろうという僕の期待は見事に裏切られます。そんな中を、欧米人の若い女性がうろうろと歩いています。一体彼らはこの山奥
のパイの町で、何をして毎日を過ごしているのか興味が頭をもたげます。
道路を隔てた向かいには、インターネットカフェーがあります。入れ替わり立ち代わり、欧米系の男女が入っていきます。店の中にも数人。彼らは社会から隔
離されたような場所にきても、大都会との絆が断ち切れないのかと、ちょっと同情ともつかず、哀れみともつかない複雑な感情が頭をもたげます。彼らは都会の
雑踏を嫌ってこの町にやってきたのではないか。こんな場所に来てまでインターネットではないだろうに。看板によると1時間35バーツ。これは異常に安い料
金ではありません。ひとときも他人とつながっていないと不安を感じる現代人の姿をみるようで、哀れです。
僕はてっきり、彼らはテレビも、電話も、インターネットもない世界に憧れて、遠路はるばるパイまで出かけてきたことと思いっていました。家人が調べた所
では、以前はこの種の若者がたくさんチェンマイに住んでいてのだが、チェンマイが発展を続けた結果、彼らにとってはもはや秘境でもなんでもない、タイの地
方都市に成り下がった結果、そんなチェンマイを嫌って若者がパイに移動した、チェンマイは今や欧米系のロートルや日本人、韓国人の多い街と化したといいま
す。
パイの若者はチェンマイの喧噪を嫌ってとはいいますが、どうも彼らは完全に社会からドロップアウトしてしまった若者ではなく、結構身ぎれいにしており、
僕が想像していたのは60年代のピッピー時代のような、うす汚いなりの若者がパイにたむろしていると思ってしていました。
その割には皆格好がこぎれいで、期待を少し裏切られます。どうしてこんな感情になるのか不思議ですが、食事の間中表通りを観察していると、彼らの中に裸
足の男女がかなりいます。何するともなく、裸足で街を徘徊しているという様です。
この町は、なんだか兵隊が駐留している基地の町に似ています。パタヤや、福生、横須賀などの感じです。ただ、軍服を着た兵隊はいませんが、そのかわり若
い紅毛の男女がたくさん歩いています。看板は英語がメイン、タイ語は付け足しの感で小さく表示されているところまで、基地の町のそっくりです。
それに街全体に漂う気怠さまでもそっくりです。先ほどの裸足の若者はバイクに乗ってもう何回もインターネットカフェーの前を通り過ぎます。ちょっと不思
議な感じがしてきます。
どうもチェンマイやバンコクで見る欧米系の若者と、ちょっと雰囲気が違うのに気づきました。どうして、いま、欧米の若者にパイが脚光を浴びているのか、
その秘密が。どうも彼は「ハイ」になっているようです。パイはタイの北西部に位置し、ミヤンマーとの国境にも近い位置です。
昔からこの辺りは麻薬の存在が噂される地域で、つい最近もミヤンマーの麻薬王がその生涯を閉じたと、日本の新聞にも報道されていました。
ここからは僕の想像ですが、チェンマイではドラッグの取締締まりが厳しくなった結果、彼らはパイに移動したのではないかと思われます。チェンマイの街が
喧噪を極めたからパイに移り住んだのとは、ちょっと事情が違うようです。
その昔、バンコクに住んでいた時のアメリカ人の友人に、定期的にチェンマイに行く男性を知っていました。彼はタイの山岳民族の小学生の里親をしており、
男の子が20歳になるまで、学費などの金銭的な援助をするようです。男性はこの子に会うためにチェンマイに出かけるといっていましたが、その頻度が異常に
おおいので不思議に感じていたのですが、どうも薬を吸いにいく目的もあったようです。当時チェンマイは、この種の欧米人に人気でした。
そんな目で見ると、すべてが解決します。何にもすることがないこんな山深い町に、こんなにたくさんの欧米の若者が集まっていることが。彼らは1泊
200−500バーツのニッパ椰子や、竹で作られた粗末な小屋に滞在して、日中は町をうろついて無為に過ごしていることが。こんな炎天下を裸足で歩いて平
気なのを。
自然発生的に増えた外国人観光客を相手に、バラックや急ごしらえの宿泊施設を作って、ちゃっかりと商売

にしているタイ人もしたたかです。それは、もうバラックと呼ぶよりほかに方法がないような簡易家屋です。竹の壁、茅葺きの
屋根、これ以上簡単にはできないような小屋が、それもかなり狭い小屋が川縁に延々とならんで建てられています。
場所は河原です。石ゴロゴロの乾いた河原に、かなりの数が密集して建てられており、まだ建築中のものもかなりの数になります。増え続ける欧米人観光客を
見て、商機到来とばかりタイ人が投資しているようです。立ち並らぶ粗末な竹の家を見ていると、状況に敏感なタイ人の商魂を見る思いで、その逞しさには感心
させられます。
町の中はこれ以上見るべき所もありません。一軒のベーカリーを見つけて、食料品を買い求めようと入ったのですが、蛍光灯が半分消され、やっているのか、
どうかが咄嗟には判断がつかないそんな店です。
店内にはお客はおらず、ちょっとした買い物の代金を払うべくレジにいったところ、若いタイ人の女性が、もの倦げに長くのばした髪の枝毛を切っていました。
パイはすべてが眠ったような、倦怠感あふれる町です。
僕たちはこの後、パイに長期滞在する典型的な若者の一人、アメリカ人男性と知り合いになります。
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