■ 460■ 1月3日 2007
「あけまして・・・・・」
↓「逆さ富士」意図は理解できますが・・・

チェンマイでの正月を過ごし、今、バンコクに帰ってきたところです。
2007年の正月は実にいろいろな事件が重なりましした。まず大晦日のバンコク爆弾事件です。大晦日好例の「紅白歌合戦」をみていた午後10時半、バン
コックの秘書から電話があって現在バンコクでは10カ所で同時爆弾事件があって2名の死者が出ています。年末で人ごみの中に出て行くのは非常に危険だの
で、チェンマイでも十分気をつけてください、との電話が入りました。
これは困った話で、今回は今開中の「花博」に行くのが楽しみで、家人は既に前売り券を買って用意していたのです。年末の爆弾事件は結局2回発生し、3名が
死亡、20人以上の人が傷を負ったとの事です。事件は、先の革命事件で利権を失ったタクシン派の犯行と現政府は発表していますが、僕は今回の事件はもっと
根が深いところに原因があるように思います。
それは、タイ南部で継続しているイスラム過激派が首都バンコクにも登場したという歴史的な事件だと考えます。だから政府の発表している利権問題が根底にあ
るというのは、あくまで政治の不毛を覆い隠そうとする現政府の偽善行為だと思います。何も同時期にあったイラクのサダムフセインの絞首刑との事件の関連性
をいうのではありませんが、台頭するイスラムがいよいよタイの首都バンコクに登場したという歴史的な事件で2007年が明けたのだと考えます。
敬虔な仏教徒の国だと考えられているタイ国は、実は結構複雑な宗教のモザイク国に変身している事実はバンコクに生活してるとひしひしと感じられる現実で
す。この日記でも再三書いていますが、バンコクには結構イスラムのモスクがあり、現在それがかなりの勢いで首都バンコクに迫っているのです。次回バンコク
の飛行場を利用されて旅行においでの際は、スワンナープムから市内に向かうとき、車の外を注意して見てください。ハイウエー沿いに簡単に3カ所の新築モス
クが目撃できると思います。
従来からバンコク周辺の貧困地域には、イスラム教徒が多数住んでいましたし、北部山岳地帯にはキリスト教徒が多くいます。いわゆる山岳民族(メオ族、アカ
族など)は結構キリスト信者が沢山います。その昔、アジアにキリスト教を布教する活動を起こしたローマンカソリックはタイ中心部の布教には失敗しました
が、北部山岳民族をキリスト教徒に改宗させる事には成果を収めたのです。
だから、現在チェンマイに居住する外国人の大半は宗教関係者です。事実、僕のチェンマイの住まいのソイは外国人家族が多く、その出身国も様々です。アメリ
カ、イギリス、シンガポール、韓国、などすべてキリスト教国の人たちで、すべて宗教関係者で結構結束も固いように感じます。
それに反して南部はイスラム教徒が大半を占める4県があります。この4県は元々マレーシア領に属していたのですが、歴史のねじれがタイに帰属する結果を生
みました。その歴史的な背景がイスラム過激派を温存し、タイからの分離独立を叫ぶ現実を生み出しました。
この4県は元々タイ領土ではなかったので、それだけ問題の根は深いと言えます。
陸続きのタイ国境問題は、島国の日本などでは想像を難くする歴史的な問題を内包しています。以前騒動になったカンボジアのアンコールワット帰属問題も陸続
きの国境問題が根底でした。
今回の爆破事件は問題が簡単に解決するものではなく、時間を経るごとに騒動が深刻化するのは必定と考えます。タイも決して安全な国ではなくなったのです。
不評を買っている「花博」に出かけました。結論からいうとそれほどひどくはなく、結構見所満載というのが僕の感想です。中でも屋内展示場の日本の「ラン」
には感心させられました。繊細な花を緻密につけている日本古来種のランは関西では「ぼけ」という品種です。どちらかという百花争乱という感じの、繊細さに
はかけるが自己主張の強いタイのランに比べると、色合いといい、花の緻密なつき具合といい、まさに日本の繊細さを具現している花の心を感じさせられます。
長い間南国に生活していると、どちらかというと原色に近い強烈なランに魅力を感じるようになってしまっていましたが、今回日本から出品されていたランの数
々は久しぶりに日本の花の良さを僕に感じさせてれくれました。日本の花は何も桜や、紅葉だけではないという事実に改めて気がつきました。
周りがあまりにも強烈なランの百花争乱だったせいもあるかもしれず、それらタイのランは強烈な太陽のもとで花を咲かせるのに反し、日本のランは冷房が効い
た屋内展示場にあったせいかも知れませんが、僕の心の中に存在する日本の心をくすぐってあまりあるものがありました。長い間日本を離れて生活しても、僕の
中にはこの繊細な色使いに驚喜する心が存在するのだという喜びを感じさせてくれるランの展示でした。感激の数々は
写真をご覧ください。タイの
人がこのランの繊細さを味わってくれたかどうかは、多少疑問がのこりますが・・・・・
屋外の国際庭園の中の「日本庭園」はあまり関心できませんでした。売り物の古代蓮「大賀ハス」は開花しておらず、なんだかタイの強烈な太陽に弱りきた感じ
で惨めでした。低い築山は富士山を表しているようですが、その心はタイ人に理解を求めるのはとても無理なようで、一見すると緑の芝生に覆われた三角錐の小
山はただそれだけという感じです。池に映り込む逆さ富士っもちゃんと表現されていましたが・・・
タイ人が花で連想するのはやはり桜で「どこに桜があるのか」と数人の人に質問を浴びせられました。季節柄桜の花を咲かせるのは無理というならば、室内を冷
房して冬景色を出現させ、「雪」でも降らせれば押し寄せるタイの人に、ひとときでも日本の冬を感じてもらえるもではないかと考えます。装置はそれほど難し
くはなく、僕はその昔、大阪で開かれた万博で「雪が降っている三菱館」というプロジェクットの末席をけがしていました。雪が降り積もる富士山、これなら常
夏の国タイの人にも、簡単に日本の冬を感じてもらえ、さらに日本に対する親近感を増すこと必定と思います。タイの人は雪を表す「ヒーマ」という言葉の意味
を理解しています。
この種の催しに参加する場合は、相手の国の国民が何を望んでいるかと言う考察が大切で、紋切り型の、桜、富士山、芸者という古い既成概念を日本人が変革し
ようと思う努力が足りず、旧態依然としたイメージにのって訴求する方が簡単と、日本人が既成概念を打破する良き機会と新しい発想を加えない安直な物の考え
がこのようなステレオタイプの日本庭園を出展する根拠になっていると考えると、古い殻に身を包んで決してそこから出ようとしない保守的な日本人の姿を見る
ようで、多いに残念さを味わったそんな「花博、日本庭園」でした。
このような日本人の物の見方が、今回のバンコクの連続爆破事件も、サダムの処刑もステレオタイプのマスコミの報道を何の疑問も感じないで鵜呑みにしてしま
い、物の本質を見ようとしない日本人気質の危なさを感じる、そんな2007年の年初です。
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