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タイでもエネルギー危機が叫ばれています
「少子高齢化」
■383■ 6月29日
30歳の青年と食事をする機会がありました。長い間外国に住んでいると、どうしても若者と話す機会が少なくなってしまいますので、貴重な時間でした。
「どうして結婚しないのか」という話題になったとき、少子高齢化社会の将来をかいま見た思いがしました。
彼曰く、
○結婚したら自分の時間が犠牲にされる。
○稼ぎに限界があるので、結婚生活が維持できるかどうか自信がない。
○お互いのプライバシーを尊重したい。
○将来に希望がもちぇない。
などです。これは現代の若者の平均的な回答と考えます。
それに、我が娘の「いい人に出会う機会がない」と、
家人の「親の生活を見ていても、さほど幸せとは思えない」
を、あわせると、全貌が見えてくるような気がします。
今の若者を総括すると気になることは、自分の世界を大切にするあまり、人と妥協、協調して生きていく、という部分が非常に希薄になってしまっていることで
す。社会と積極的に関わっていこうという思考より、自分の世界を大切にしようとするようです。
あまり人の意見を聞いたり、観察したりすることを怠ってしまうようです。周りも教えないというか、教えても反応が希薄だったりするので、情熱を失ってしま
い、放任することになってしまいます。その結果、社会的常識が欠如してしまって、電車の中で化粧をしたり、ものを食べたり、携帯電話をかけたりしても平気
なのです。
少子高齢化問題も、自分の世界を第一義に考え、結婚にそれほど意味を感じないのと、結婚していても、働く女性が多く、しかも「出産か」「仕事か」を迫られ
る社会構造が問題だといいますが、これは核家族化が始まった時に既にその目を内包しており、雇用不安や、デフレなど、今の社会不安がその傾向を押し上げて
いると推測されます。
30数年前、我が家でも、結婚後、子供を持つべきかどうかで、かなり突っ込んだ話し合いを重ねました。当時家人は仕事を持っていました。
当時は、お互いに充分に若く、将来に対する希望や、仕事に対する情熱も持ち合わせていました。我が家では、子供をつくることに対する積極的な肯定論は出ま
せんでした。結局、子供を持つことを決心させたのは、家人の母親の、どうして子供を作らないのかという強い疑問でした。早く孫をみたいという、あの話で
す。いってみれば、我々夫婦でない係累の願望が先にきていたということです。一昔前はこれが社会的常識でした。
しかし、義母の願望を満たすだけの動機で、子供をつくることの是非を検討したのではなく、自分の子供は、自分たちの強い意志で持ちたいという強固な願望が
お互いにあったのです。自信を持って子育てを出来る心の到来を待っていたのです。今はやりの「できちゃった婚」などという発想は論外でした。
「子供が出来たら箱根の山に捨ててこよう」が、子供を持とうという強い意志に変わるのには、それほど時間がかかりませんでした。それまでは、30年近く、
まったく違う環境に生活して、知り合って、お互いを知るのに要した時間は、それまで過ごしてきた時間に比べてあまりにも短すぎる、もっとお互いを知り、理
解し、共生していく自信のようなものが出来てからではなくては、子供などつくることは論外だという考えでお互いに一致していました。そうでなくては、生ま
れてくる子供に対して失礼だということでも意見が一緒でした。
それが一転したのは、30近くお互いに違った家庭や生活環境の中にいて、数ヶ月の交際期間や、ある日を境に結婚生活を初めたからといって、そう簡単にはお
互いのすべてを知ることは不可能、むしろ、お互いが知らない不透明の部分があった方が、将来的に、お互いに対する興味が持続するという考えに変わったこと
です。
30年間、違う空気を吸って、違うものを食べて生活してきたものが、ある日を境にして、同じ空気を吸い、同じものを食べ、同じ内容の排泄をしても、同化し
たと考えるのは、それは幻想だという結論に達したのです。
同化ではなく、お互いの個性をどこまでも尊重して行くのが大切だという結論にたしたのです。それには自己を殺して我慢をしなければならない場面もあります
し、相手を理解して協力していかなくてはならない部分も多くなります。しかし、自分の独自性だけは放棄しなぞという強い意思の再確認でもありました。家人
は仕事をやめました。
2人の血を分けた子供が出来るのですから、これはもう現実から逃避もドロップアウトも出来ません。不安でないといえば嘘になります。正直この時は、お互い
に子育てには全く自信がありませんでした。
結婚する、子供を育てるというのはこういうものだと考えます。皆、若くて将来に対しては、かなり不安要素はあります。何も保証はされていないのだという現
実社会に目覚める時期でもあります。自分が親になる自信など全くありません。
自分の生活にしてが、学生時代が終わり、社会に出てもまだ新人の部類に入る時期です。将来のことなど、全く不透明で漠然としています。
でも、子供を持つということで、お互いが逃れられない事実を共有するという、一大決心を迫られる瞬間でもあるのです。これは、大学に入るための受験勉強
や、就職先を決定することや、結婚相手を選ぶことよりも、更なる確固とした決心を迫られる瞬間でもあるのです。私の時代はそうでした。
現代の若者の意見を聞いていると、どうもその辺りが希薄のように感じて仕方がありません。彼らは自己犠牲や、我慢という言葉から、かなりの距離を持て日常
を生活していると思われます。引きこもりや、ニートなどが問題視されています。
自己を大切にするあまり、社会とどうしても共生できない心情はかなり理解できます。地球上に何億の人間がいようが、その最小単位は自己です。それを大切に
しようと思うあまり、人と交わることも、雑踏の中に出て行く勇気も消え失せているのでしょう。
人生の競争は、いつまでも若さを失わないことだといった哲学者がいます。その伝でいえば、現代ほど純粋無垢な若者の数が多い時代は過去にはなかったと考え
ます。
しかし、社会とこんなに隔離した若者が出現した時代もまれです。政治や、世界情勢や、社会の常識に背を向けて生きている若者の生き方はちょっと異常といえ
ます。
これでは日本の未来は多いに暗いといわなければなりません。種の継続などという総論は別にしても、全体として衰退に向かって進む傾向のようです。人類滅亡
の日が近いと言った落語家は、自分で自分の命を絶ってしまいました。案外これは、未来を真剣に見つめ結果だともいえますし、今の若者が旧価値観を捨て、新
しい価値観でものを見、理解しているとしても、その具体例が出てきなくては未来が見えません。もう、価値観などといっている概念が、すでに時代遅れなのか
も知れません。
人類が滅亡するのは、自分たちの世紀ではなく、まだかなり遠い未来だと達観していても、それは保証された未来ではないことは事実です。ではどうするかとい
えば、結論は先送りにしなくてはならないのかも知れません。少子高齢化は単に日本の問題だけではなく、前住地香港などはもっと深刻だといいます。
人類が地球上から姿を消し「そして誰もいなくなった」が先か、「
産めよ、増やせよ、野にみ満ちよ・・・」の時代が再来するかは予測すら出来ません。流れとしては、悲劇的な方向に進んでいると感じますが・・・・
唯、今は、この閉塞した時代から、どんな新しい理念や価値観や人生観が出てくるか、それを期待する気持ちでいっぱいです。そして、それが近未来であってほ
しいと願わなくてはおれません。
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