サ キさんのチェンマイ日記

                                         
飯田橋、お堀端
     
「三寒四温」


  ■313■ 4月10日
 


 電気ストーブを出したりしまったり、セーターを着こんだり、ぬいだり、Tシャツ
になったと思ったら、翌日は雨で冷え込み慌ててフリースを着たりと、春先の日本の
気候は日ごとの変化がありすぎてとまどってしまいます。チェンマイであればこの時
期一番暑い季節ですので半袖、半ズボンが制服のようで毎日着るものに配慮をしなく
てすみます。でもこれが利点であるのか、そうでないかはかかなり意見の分かれると
ころで、家人などはこの日本の気温の変化が楽しいといいます。一年中季節の変化が
ないのは女性にとってはおしゃれ心がわいてこない、つまらない毎日を強いられてい
るのかもしれません。

 しかし、春先の日本の気候が毎日こんなにも変化があったのかと、改めて驚いてい
ます。「三寒四温」という言葉はすでに忘れ去っていました。それに雨や曇りの日は
気温も上がらず寒さを感じ、先日のように雨でも降ろうものなら冬のさなかに逆戻り
で、風があると街を行く人は皆背を丸め、生気がありません。そんな気候の中、近く
の小さな公園や街路には桜の花が満開で、春と冬の季節が混在しているように見えて
、南国からきたサキさんには新鮮な驚きです。

 こんな桜の花を見ているとせっかくの花が可哀想に見えてきます。先日銀座に出か
けましたが、街路樹だけが緑の若葉をつけており、ビルに囲まれたこの細い街路樹だ
けに春が来ているようで、そこを歩く人たちはまだ冬支度なので、周りのことなどお
かまいなしに街路樹は「春が来た」と叫んでいるようで自然の力強さを感じます。街
中の桜も、周りの景色に関係なく、今、自分の花を満開にするのだという強い自己主
張が感じられ、まだ若葉もつけない周りの裸木の中にあって唯一の色彩を誇っていま
す。

 でも、桜の花はコンクリートジャングルに咲いていると、なんだかできの良い造花
のようでちょっと哀れです。やはり太陽さんさんと降り注ぐ丘陵地の桜や、大きな川
の土手に植えられた樹齢何十年という枝ぶりの花のトンネルが圧巻です。そんな満開
をテレビが毎日見せてくれています。街の中に生活していると桜のたよりが届くごと
に春の到来を知らされ、窓の外は冷たい風が吹いていても何だか心が浮き立ちます。
別段それだから出かけるという予定はありませんが、このいつでも思い立てばすぐそ
ばで希望をかなえられるというところが日本に生活して味わう心の充実です。ないも
のをねだっても仕方がないのですが、反面ないとわかるとよけいに要求が強くなるの
が人の常です。チェンマイの生活がそうです。そういう意味ではテレビが果たす仮想
精神安定は無視できません。

 このテレビ、朝から深晩までどの局を選んでも同じ内容の番組を流し続けており独
自性がまったくありません。それに、手数と予算がかからないトーク番組が主で、コ
ンテンツ不足は隠せません。旅や、グルメ、タレントの生き死に、今週でなら六本木
ヒルズの回転ドアの事故、それもじっくりと問題を掘り下げて論じるのならまだしも、
こま切れの番組で、それを繰り返し放送しています。タレントや評論家と自称する人
物が出てきて、当たり障りのないコメントを述べています。バブルがはじけて、不景
気が長引いている今の日本に必要なものは、人の意見に流されない各人の独自性をも
った考えと、生き方を見つけることだ思いますが、マスコミがこうも決まりきった定
見ばかりを流し続けていると、ものを考えない日本人が増え続け、もっと真摯に物事
と向き合おうというそんな気運すら出てくる隙がありません。マスコミはもっと自分
の影響力に配慮し、責任を持つべきです。

 時間がながれて、時代が変わってもテレビや新聞など日本のマスコミは工夫変化が
なく、相変わらず旧価値観をベースにした意見をたれ流しています。一億総白痴化と
いったのは大宅壮一だと記憶しますが、その時代から全く変わっていないように見え
ます。一方的な定見の押しつけでは、発言しない日本人がますます増え続けます。携
帯メールなどはその最たるものだと考えられます。山積する社会問題や国際問題より
、自分の周りの小さなコミュニケーションを大切にする気質はますますこの傾向を強
めているようです。炉辺の暖かさに小さな幸せを感じている間に、世界は大きく変化
しているのです。

 至近の例では韓国の大統領罷免事件や、台湾の大統領選挙などは変化の時を感じる
ことができます。あれは発展途上の国の事件であり、日本はすでに先進国の仲間入り
をしているのであのような事件は起こりようがないといったり、60年代には日本で
もあのような事件はあったが、今は平和な時代が訪れているのだから・・と、懐古趣
味で短絡しているうちに周りの国はどんどん変質していって行きます。これからの社
会は日本だけが蚊帳の外というわけにはいかないのでが。

 と、いっていると昨日からはイラクで捕虜になった日本人の事が大話題になってい
ます。NOGや個人レベルでの善意は理解できないことはありませんが、個人の力、出来
ることの限界を知るべきです。チェンマイにもこの種の活動が沢山あります。でも、
最近は興味を引きません。NGOや個人篤志家のかなりの部分に自己満足を見てしまった
からです。自己満足の手段は他にも沢山の道があると思います。この種の活動は手を
さしのべる側のドグマだけでは片手落ちです。受ける方の立場に立った考察も必要で
す。チェンマイのようなボランティアやNGO 、個人の篤志家が沢山活動している場所
に生活すると、そんな点が非常に良くみえます。今回の2人は個人レベルで、もう一
人は危険地帯を承知のフリーカメラマン、自分たちの意志が強く働いていることと考
えます。今回の騒動が政府の問題に発展しないことを望むばかりです。外国に出かけ
るとは、紛争地帯で活動するとは、そういう決意が必要欠くべからぬ条件です。
 
 個人レベルでこの種の問題に足を突っ込む事にはとかなりの限界があります。時に
はその行動はは暴挙になったりします。イラクのように泥沼化、国際化した問題は個
人レベルではどうしようもないという事実にも気ずくべきです。それに宗教が絡んだ
抗争は人類の有史以来解決を見いだせない大問題です。宗教観の乏しくなってしまっ
た日本人には理解の及ばない事がたくさん存在します。自分の意志で出向いて起きた
この事件、捕虜になっても、いや命を落とすことがあってもそれらは自己解決を計る
べきです。それだけの強い意識が必要です。何かしたいという前に何が、どのような
状況でできるかという考察が大切です。今回の事件はスタンドプレーといわれても仕
方の無い部分があります。では、問題を前にして指をくわえて見ているだけか、とい
う消極的思考しかできないではないかという反論がありそうですが、単独や、少数で
の善意には限界があります。

 外国で個人が活動するとは強い意志が必要です。たとえ命を落としてもという決心も
必要です。外国に暮らしながら我が物顔で、日本にいるのと同じ感覚で生活をし、日

本語だけで生活していて何の不思議さを感じない人はもう見飽きました。

 
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