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「トヨダパブリカ」
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月12日 2003
上の写真、何の車かご存じですか。これは1961年に発売された「トヨタ・パブリカ」。40年も前の車が平気で街を走っているのですから、驚きを通り越
して感激してしまいます。この車、「売却希望」の張り紙がしてあるところを見ると、立派な現役で、しかもまだ転売する価値があると見うけられます。このパ
ブリカは、日本のモータリジェイヨンの先駆けとして、40年前に大々的に売り出されたファミリーカーです。資料によりますと
【トヨタ・パブリカ(1962年)】
その名が示すとおり、トヨタが描いた理想のパブリックカー(大衆車)。開発コンセプトは、大人4人が無理なく乗れる居住性。高速時代に対応した走行性能
に、優れた経済性、かつ低価格。出来るだけ多くの国民が乗れるクルマをメーカーに開発させるために、「排気量は350〜500CC、燃費はリッター当たり
30キロメートル以上」と、通産省が55年に提唱した「国民車構想」とも重なる。こうした命題を、軽量ボディーと空冷フラット・ツインエンジンとの組み合
わせで具現化したのがパブリカです。その後、徹底したベーシック指向の外装がユーザーに敬遠され、販売面では伸び悩んだ。大衆の心をつかみきれなかったパ
ブリカの低迷は、その後のトヨタのクルマづくりに大きな教訓を与えた。
と、あります。新聞広告で大々的にキャンペーンを張り、愛称募集が大当たり、大反響を呼んだことを覚えています。何せ40年も前のクルマ、まさか現役で
走っているとは、目撃後しばらくは信じられませんでした。注意をして見ていたら、ここ数週間で2、3台も見かけたのですから驚きです。タイは自動車の価格
が高く、その分下取り価格も高いですから、自動車の寿命はかなり長いのですが、40年前のクルマが現役とは驚きです。もちろん廃車にした後でも、使える部
品は徹底的に使い回しが当たり前ですので、日本のように廃車の処理に困るということはありません。うずたかく積まれた、まだ程度のよさそうな廃車の山を見
るにつけて、なんともったいないという気持ちがもたげるのは、東京郊外をドライブしている時の風景、ここチェンマイでは、使える部品を集めたジャンク屋
や、信じられない年代物の中古車を売っている店はあっても、廃車の山はほとんど見かけません。それどころか、なかには中古車で輸入されたのでしょうか、日
本語が書いてあるクルマを見かけたりします。確か、中古車はかなり前に輸入禁止になっているはずですが。
この年代もののパブリカ、近寄って観察すると、フロントグリルは手作りの網をかぶせてあったり、ボディーも修理後が見られ、オリジナルの形とはかなり違
いますが、その使用年度の長さを伺うに充分です。その辺がほほえましく、これで郊外のスーパーハイウエーを堂々と走っているのには感心します。こうなると
一日でも余命を長らえて、月まで何往復もするほど走行距離を伸ばしてほしいと、つい応援したくなります。きっとエンジンは既に積み替えているのだとは思い
ますが、こういうリサイクル思想にはタイ人は徹底しています。
ものを大切にする気持ちがそうさせるのか、経済状態がそうさせるかは判然としませんが、公共交通の未発達なチェンマイでは、なんだかの移動手段は必要で
す。ここの住人は5分以上は歩かないといいます。確かに年中暑くて炎天下をあるくのはかなり覚悟がいります。こんなぼろ車でもないよりはましという感じな
のかも知れません。
ないよりは・・・・というと最近気になる日本発のニュースがあります。日本の米不足。10年ぶりの冷夏が米の不作を呼び、新米は高値になっているという
ことで、農家から新米が頻々と盗難に遭っているようです。なければ盗んでくるとは、モラルも地に落ちたという感があります。鍵をかけてない農家の小屋から
の窃盗だけでなく、2、3日前の報道では、ついに田圃に植わっている稲を刈り取って盗んでしまったというあきれかえる事件がありました。「1年間丹誠込め
て作った米が・・・」という生産者の落胆はいかがばかりか・・・
そのほかのも、外国から日本を見ていると、実に奇妙な姿に驚くことが沢山あります。
不祥事を起こして謝る会社幹部の記者会見。「心よりのお詫び」に、カンニングペーパーの棒読みがあります。非常に短いコメントくらい、カンペを見ないで、
テレビカメラに向かって誠意を込めて謝ってほしいと思うのはサキさんだけでしょうか。不祥事には簡単に謝り、その謝りに誠意のかけらも見えません。そし
て、再び同じような不祥事を起こしてしまいます。あんなに簡単に頭は下げてほしくありません。
訴訟ばやりも気になります。特にセクハラ問題。満員電車でセクハラに遭ったという女性の訴え。サキさんは、もう今では、日本のラッシュアワーの電車には
恐怖で乗ることが出来ません。身動き出来ない状態で30分、40分を通勤する姿に何の疑問を感じなくなっている日本人。これは異常を通り越して、常軌を逸
しているとしか思えません。大都会一極化がそうさせているのでしょうが、慣らされてしまって、何の疑問も感じない心理が非常に怖いと考えます。東京のラッ
シュアワーは、あれは、暴動が起きてもいいくらいの人間無視ではないでしょうか。あんな状態でセクハラに遭ったと騒ぎ立てる前に、この通勤地獄を何とか解
消できないかと発想を持つことが大切ではないかと考えます。女性専用車用を作れば問題解決というわけではないと思いますが。なんだか相互理解が全くなく、
どんなことでも訴えればいいという姿勢は、「石を投げれば弁護士に当たる」というアメリカ状態が出現するのも時間の問題かも知りません。現にぬれ絹を被さ
られ、職業も名誉もなくしてしまった中年男性が現れました。ちなみに、香港の地下鉄は詰め込めるだけ詰め込む式ではなく、「はがし屋」が無理に乗り込もう
としているお客をはがして乗り込ませないような方策をとっていましたが・・・
凶悪犯罪多発も深刻な問題です。不良外国人の問題だとスポットを当てるのは、なんだか問題のすり替えのような気がして仕方がありません。殺人を犯しても
裁判の結果、刑罰がまちまちなのは大いに気になります。刑法を改正云々の問題ではなく、日本の刑罰は軽すぎる感があります。罪によって明快な刑罰を決め、
再犯はそれに加算して刑を決める方式、つまり懲役130年というような刑罰の方法にすれば、その罪の重さが明確になり、犯罪に対する考え方も変わってくる
と思います。アメリカやここタイでも懲役170年という判決が下されたという新聞報道がありました。裁判官の感情を出来るだけ排除して、明確な量刑を下す
方法です。精神鑑定や、情状酌量などという曖昧な判決では、永遠に凶悪犯罪はなくならないと思いますがいかがでしょうか。
こうなると懐かしさ
を超えてしまいます
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