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「ライチの季節」
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月10日 2003
「ライチ」の季節になりました。この木は若
葉を大きく茂らせますので、チェンマイでは庭木に結構植えられている事を最近発見しました。実をたわわに実らせていない今でないと、一寸ほかの木と区別が
つかなかったのです。青い葉と、沈んだ赤い実のコントラストですが、実が小さいのでそれほど強烈な印象はありません、でも、ライチの木、これは遠くから眺
める庭木ではなく、実を味わう果樹だと思っていましたが、よく観察すると、たわわに実ったライチの実をそのままにしている家庭が結構あります。中には実は
育ちすぎて、破裂してしまい、中から白い実が顔を覗かせています。もったいない話ですが、ライチの木は想像以上に大木に育つので、高い位置の実は収穫する
のが大変です。ライチは落葉しないので庭木に重宝されていて、果実を収穫する目的ではないことがわかりました。
庭に果樹があるのは何となく楽しい物です。
このままでは野鳥のえさになってしまうだけだと残念がってはいますが、それではと「李下に冠をただす」分けにもいきません。先日YMCAに曲
がる角の家で、庭のライチを収穫しているのにでくあわせました。ライトバンの屋根に上って格闘していましたが、高い部分は取りきれていません。「よくもこ
んなに」と思われるくらいかなりの量を収穫していましたが、今年はこれでも量が少ないとの事です。
ライチは、今SARS
の渦中にある広東省の南部、香港に隣接したところが本場ですが、今年はどうなっているのでしょうか。古くは楊貴妃がこよなく賞味したというほのかに甘いこ
の果実、ことしは、 SARSの大流行と、このライチがセットになって強烈な記憶として永遠に刻み込まれることになりました。これからはライチをみると
SARSを思い出すことでしょう。
ライチの木が一本あれば、一生安穏に暮らせるとは、一番はじめにライチの木と対面した1980年の5月に聞いた話でした。それほど高価な果実
でしたが、今は品種改良されて沢山出回るようになったようです。場所は香港と国境を接していた中国広東省深センです。ここから隣の町蛇口までの、赤茶けた
丘陵地帯には一杯ライチの木が茂っていました。香港との国境が35年振りに開いたとのことで、沢山の観光客がライチ狩りに訪れました。当時の国境はイミグ
レーションの施設もお粗末で、よしず張りのしたで、2時間以上長蛇の列に並ばされた事を今は懐かしく思い出します。
ほそい川を隔てただけの国境は、それでも警戒は厳重で、国境の上にかかる鉄橋の両端には着剣した兵隊が立っていた事を今は懐かしく思い出され
ます。最近では、あまりこの種の兵隊を街で見かける事はなくなった中国ですが、外国に門戸を開いた当座は街中が警戒厳重で、なんだか街に出れば一日中緊張
を迫られる感じでした。そんなライチの木も見る間に切り倒されて、後には香港をまねたような高層ビル群が出現しました。
改革開放政策が効を奏して、沿岸の都市の近代化は超スピードでなされましたが、やはり社会主義の根本は根強く残っているようで、今回の
SARSの大流行も『人民には知らしめず』の考え方が流行を大きく深刻な問題にしてしまったようです。報道によりますと、人民軍はすでに3月には今回の肺
炎が『コロナウイルス』であることを突き止めていて,軍内部ではそれなりの対策をとっていたとのことを知らされて、愕然としました。
広州、上海、の発展はすさまし勢いで、あっという間に古い建物が壊され、街は一見近代的になりました。しかし、衛生観念や医療施設というと、
まだかなりお粗末で、今回のような感染力の強い流行性の病疫にはなすすべを知らぬと言うのが現状でしょう。生活格差の大きい地方農村部にこの
SARS
が広がった場合被害はもっと拡大すること必定です。北京、上海、広州も同じで、近代化されたビルの根本では、未だに昔のままの衛生観念を持ち続ける庶民が
生活しているのです。
高層ビルもなく、道はいったん雨がふれば泥沼と化し、家は雨露が忍べればそれでよし、電気も十分にはこない、自転車が交通手段で車も走ってな
い、そんなのんびりとした生活が20数年前の広東省の農村生活でした。広州で外国人が宿泊できるホテルは「東方賓館」一軒だけ、その部屋には高い天井から
白い渦巻き状の「かや」が吊ってあったことを思い出します。一見、街は近代化されたようには見えますが、高層ビルの足下では未だに20年前と変わらぬ生活
を強いられている庶民がいるのです。
ライチの季節に中国の20数年前の昔の姿が思い出したのは、中国発展の過程をつぶさにみてきたせいだのかも知れません。
ライチの木がある家
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